今年も?始まったようである。朝から駅前で「ご協力お願いしま〜す。」とボーイスカウトの少年少女たち?が元気な声で協力を呼び掛けていた。
このような光景を見るたびに、子どもを使うというのはいかがなものかといった気持が芽生えてしまうのはなぜだろう。子どもの教育のためにいいといったことや、やらないよりも少しでもためになるのであればやったほうがいいといったこと、赤い羽根共同募金は信頼がおけるといったことは分かるが、しかし・・・と思ってしまうのである。
「いくらいくらあれば、世界中の困っている人たちを救うことができる」といった話を聞くことがある。しかし、本当にそうであれば、とっくに世界の貧困問題などなくなっているのではないだろうか、今までに世界中で寄付された金額を合計すれば、とっくに言われている金額に達しているはずだと思うのだが、それでもなお、貧困問題が解消されないのはどこに問題があるのだろうか。どこかで搾取されているのだろうか。真剣にこの問題の解消を考えるのであれば、過去の決して少なくない人たちによる寄付、寄付金がどのような使い方をされたのかといった詳細や、それによってどういった問題の改善が図られたのかといったこと、また、問題が解消されない原因等をきちんと探るべきではないだろうか。
数年前まで、「国境なき医師団」については、取組内容に共感するところもあり、定期的に寄付をしていたことがある。送られてくる冊子には、当事国政府との関係や物資輸送の問題などの困難さが記されていたような記憶がある。しかし、なぜそんなに困難なのかといったところが、どうしても伝わらなかった。実際に活動をしている人たちにとってはさまざまな課題が目の前に山積していることは分かる。大変厳しい現実の中で出来ることから1つずつ取り組んでいるのだとも思う。だからこそ、もし、活動を妨げるような問題があるのであれば、そういったことの解消に向けた取組みを重視して行うべきではないのだろうか。
どこの国でも、たとえ貧しいと言われている国であっても、権力者の生活というものは、とても裕福に見える。